理念・基本方針・当院の役割
理念
私たちは、すべての県民がいつでも、どこでも、安心して、 満足できる医療を提供します。
基本方針
1. 患者中心主義:Patient Focused
- 私たちは、24時間、365日、すべての人々に平等に医療を提供します。
- 私たちは、それぞれの患者さんに最適な医療を提供します。
- 私たちは、安心して安全な医療を受けることのできる環境を提供します。
2. 社会的貢献:Social Contribution
- 私たちは、離島医療を支援し、予防医療を担います。
- 私たちは、人間性豊かな医療人を育てます。
- 私たちは、医療資源を大切に使い、効率的な経営を行います。
- 私たちは、国際保健医療に貢献します。
3. チームワーク:Fine Teamwork
- 私たちは、互いを尊重し、力を合わせて、あらゆる問題を解決します。
- 私たちは、安全で、安心して生き生きと仕事ができる職場を作ります。
当院の役割
1次~3次の救命救急医療
救急部門は本院の医療を特徴づけるものです。戦後の医療の復興は救急を中心に行われました。救急患者をいつでも受け入れます。ベッド満床を理由に患者を断らないという理念が綿々と引き継がれています。
1975年に救命救急センターの指定を受けて以来2004年まで沖縄県内唯一の救命救急センターとして、そして、現在も救急医療の中心的な役割を担っています。
離島支援の中核的役割
沖縄県には有人離島が40有り、19島に診療所が開設されています。当院はその診療所に勤務する医師を育成する役割も果たしています。
又、診療所とインターネット経由での情報交換や、診療所医師の研修・休暇・弔慶休時の代診医派遣等の診療支援も行っています。
連携を通した地域医療支援
日常診療で民間の医療機関が対応できない重症例や特殊な臨床症例を受け入れ、機器・人材を整備して、EBMに基づいた良質な医療を提供するように心がけています。
人材育成による海外医療協力
海外医療協力については災害時に現地に病院スタッフが出動するような形の協力ではありません。JICAを窓口として、海外から医療人を受け入れ、短期・長期にわたる臨床現場での教育・研修に関わっています。
充実した臨床研修と医学教育
終戦後の沖縄の医療事情は劣悪でした。沖縄県は医師確保対策として日本国内の大学に”留学”させる特別な奨学制度を作成しました。
しかし当時の沖縄には卒後臨床教育のための施設や臨床研修プログラムがないことから、医師不足解消の成果をあげることは出来ませんでした。
このような状況を打開するために、1967年にハワイ大学と提携した臨床研修プログラムがスタートしました。臨床重視の研修プログラムは年月を経るにつれて次第に全国から注目を浴びるようになり、1973年から後期研修を2年追加しました。
1983年から、後期研修終了者に1年の離島勤務が義務化され、以来修了生が離島医療の大きな戦力となっています。1996年には研修終了後離島で自立した診療のできる医師作りのために、プライマリケアコースを新設しました。
指導医と研修医のモチベーションを高めるために米国での臨床研修を、それぞれ1980年と1996年に導入しました。
2004年に新臨床研修制度が開始されましたが、私達はこれを38年間積み上げてきた実績中、今後さらに磨くもの・反省して改善すべきものを見つけ出す好機ととらえ、病院内外の諸関連施設と連携を深めつつ改革・改善を心掛けています。
総合周産期母子医療センター
総合周産期母子センターとは、出産前後の母体及び胎児並びに新生児を一貫した管理を行うため、都道府県知事が適当であると認めた施設で、当院周産期部門は平成14年4月1日に沖縄県初の総合周産期母子医療センターとして認可されました。
当センターでは、母体ならび新生児の救急搬送に備えた体制を整えており、夜間、休日でも少なくとも二人以上の産科医、一人以上の新生児担当医が勤務し、主に沖縄県中北部地区を中心しリスクの高い妊婦、産襦婦、新生児の診療にあたっています。
がん診療連拠点病院
当院は地域がん診療連携拠点病院の指定を受け、専門的ながん医療の提供、地域のがん診療の連携協力体制の整備を行い、患者さんへの相談支援や患者さんに対して適切な医療を提供できるよう体制を整えております。
基幹災害拠点病院
災害拠点病院は、大規模災害において発生当初より迅速な医療救護活動の拠点となる病院です。
沖縄県で各医療圏域に指定されている11災害拠点病院の中心的な役割を担う基幹災害拠点病院として位置づけられています。